漢方に代表される東洋医学の多くは自然と調和し、共存共栄を果たすことで自分自身に対し大きなメリットを得ようとするものです。

「自然と一体となり、逆らわず自然治癒力を高める…。」などと言われることもありますが、本来の東洋医学はそのようなオカルト的な話だけではなく、自分以外にメリットを与える事が巡り巡って結果的に自分の元へ帰ってくる「情けは人の為ならず」に近い精神です。

己の体調がベストでないと周りに十分な施しをすることができません。 己の心が平静でないと周囲の心も和みません。 周囲が満たされていないと自分に尽くして貰うことができません。 この解釈を人と自然、人体の仕組みなどにまで様々にスケールを変え、応用して理論展開されます。 そして、このようなものに過不足があることを総じて「気が病む」と言い、いずれは「病気」となるのです。

現代では西洋医学でも病の予防が医療費の削減、健康寿命の維持にとても大きな役割を果たすとされており、そのための取り組みを行っていますが、それでも医師を含む多くの現代人にとっての医療は「病になってから使う」という認識が強いもの。

漢方は病の治療もさることながら、予防医学において極めて緻密な考察がされており、西洋医学では病気とはされない様々な体の細かな変化を「気の変調」として捉え、病む前に治す「未病治」が最高の治療であるとされています。 同じように未病を治す医者が最高の医者で、病んでから治す医者は凡医であるとされています。

未病を治すためには日頃から定期的な健康維持の為の診断、施術を行っていないとそもそも発見することができません。 そのため中国の権力者達は自分の体制を確固たるものにするために医者を召し抱え日頃から体調の管理をしていました。

時代や文化、思想が違えど人の体は同じ。 現代人が行う運動や食事などの自己管理。西洋医学による検査や治療。これらでは誰も気づく事すらできないリスクを東洋医学。漢方は回避することができます。