理解は心身を鍛え健やかにする⑦

なにかに一心不乱に取り組むことで恐怖を忘れる。

その先に有るものはなんでしょう?

多くの達人や識者達は一定の理解に行き着くようです。

 

きっとそれは皆が知っていて、ありふれたもの。しかし、その本質的な意味がわからないもの。

悟りにしても、技術を高めた達人にしても、最終的に得るものはなんらかの「気づき」であると言います。

 

気づくことは理解の先にあるもので、その人にとっての人生を最良に過ごす元となるのでしょう。 もし、他人から見て不幸だとしても。不健康だとしても本人が「気づいた」ことに則って生きていれば、恐怖はないはずです。 そしてそれは少なくとも本人にとって健康的な生活であり、満足する一生となります。

 

病気や死、貧困など、世間の価値観で不幸と評価される恐怖を避けるためには、なんらかの信念を持ち、何かに気づくことです。 そのためには受動的ではなく、自分自身で実践、学習するしかありません。